 総欅入母屋造。江戸時代 元文4年(1739)に上棟落成。用材は紀州徳川家からの寄進、正面の欄間(十六羅漢)や須弥壇はすべて欅の素木造で江戸初期の特色を表す豪華な装飾が施されています。ご本尊は、重要文化財の丈六の阿弥陀如来(平安時代・定朝様式)が安置されています。
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 もとは豊臣秀吉の伏見城にあった旧殿で、慶長3年(1598)に大谷刑部吉隆の母・山中長俊守内室が寄進したものです。二列に配置された室にはそれぞれ狩野派の襖絵が描かれ、賢人の間の内仏は京都法勝寺伝来の秘仏薬師如来座像(重文)です。
 
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この庭園は裏山の急傾斜の山畔部を巧みに利用し、丸刈角刈の小刈込を駆使した観賞庭園です。中央の池泉は琵琶の姿を取り入れた瓢型で、山畔の下部と池泉との間に小丘坡を築いた二つの石組で構成されています。初夏の新緑、さつきの咲く頃、秋たけなわの紅葉、冬の雪景色等は特に素晴らしい眺めとなります。
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元亀2年(1571)織田信長の比叡山焼き討ちの際、当寺も災禍を被りました。その直後に築かれた坂本城の城主となったのが明智光秀でした。光秀は西教寺の檀徒となり、復興に大きく力を注ぎました。総門は坂本城城門を移築したもので、鐘楼堂の鐘は陣鐘です。天正10年にこの世を去った光秀は6年前に亡くなった内室熙子や一族の墓とともに祠られています。
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